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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)4783号 判決

原告(反訴被告) 伊藤萬株式会社

右代表者代表取締役 芳村昌一

右訴訟代理人弁護士 河合弘之

同 竹内康二

同 西村國彦

同 井上智治

同 栗宇一樹

同 掘裕一

同 青木秀茂

同 安田修

同 長尾節之

同 米津稜威雄

同 増田修

同 長嶋憲一

同 麥田浩一郎

同 佐貫葉子

同 仁藤一

同 玉生靖人

同 碩省三

同 藪口隆

同 津川広昭

被告(反訴原告) 株式会社 幡多商事

右代表者代表取締役 吉福雄一

右訴訟代理人弁護士 松岡庸介

同 田中健恵

同 寺島秀昭

主文

1. 原告の請求を棄却する。

2. 反訴被告は、反訴原告に対し、金九億五六四七万六九六〇円及び内金八億二二二九万六四〇円に対する昭和六〇年六月一日から、内金一億三四一八万六三二〇円に対する昭和六〇年七月一日から各支払済みに至るまで日歩五銭の割合による金員を支払え。

3. 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、原告(反訴被告)の負担とする。

4. この判決は、2項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一、請求

一、本訴請求

原告(反訴被告。以下単に「原告」という。)は、被告(反訴原告。以下単に「被告」という。)との間において、別紙取引一覧表(1)の1ないし23記載の各債務(合計八億二二二九万六四〇円の債務)の存在しないことの確認を求める。

二、反訴請求

被告は、原告に対し、売買代金九億五六四七万六九六〇円とその内金八億二二二九万六四〇円に対する昭和六〇年六月一日から、その内金一億三四一八万六三二〇円に対する同年七月一日から各支払済みに至るまでの約定の日歩五銭の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

第二、事案の概要

一、被告の主張

1. 売買契約の成立

(一)  被告は、原告の注文により、別紙取引一覧表(1)及び(2)記載のとおり、原告に対し、昭和六〇年三月六日ころから同年四月一五日ころまでの間、代金は月末締め、同日起算六〇日後を支払期日とする約束手形により支払う、遅延損害金は日歩五銭の約束で、灯油等を売り渡した。

(二)  右売買は、原告の社員小林徳孝(石油業転取引の業務に関し、注文、契約締結等一切の事項につき、原告より委任を受けて代理権を有していた者)からの電話による注文に被告が応じたものであり、各売買の具体的な内容等の詳細は、別紙取引内容(1)及び(2)記載のとおりである。

2. 売買契約の形態と効力(原告が同時履行の抗弁権を主張できない理由)

(一)  別紙取引一覧表(1)(三月分)の1ないし19及び23の各売買(以下これを「A売買」又は「A売買契約」という。)は、原告及び被告とも、元売りと最終需要家の中間に介在する商社としてなされた物流を伴う直接取引の売買契約(業転取引)である。

なお、このような場合、中間の原告と被告間には、元売りから最終需要家への物品の引渡をもって、原被告間でも引渡がなされたものとして、代金の決済をなす旨の合意が存在する。

(二)  同表(1)の20ないし22の各売買(以下「B売買」又は「B売買契約」という。)は、いずれも原告と日本オイル興業株式会社(以下「日本オイル」という。)との間で油種、数量、単価、支払条件等ほぼ合意に達していた売買契約に、右両者からの要請によって被告が原告に対する売先として介入した売買である。すなわち、昭和六〇年三月一九日、油種、数量、引渡方法、支払条件等を同一に定め、関西オイル販売株式会社(以下「関西オイル」という。)と日本オイル(前者が売主で、後者が買主。以下同じ。)、日本オイルと被告、被告と原告、原告と日東交易株式会社(以下「日東交易」という。)、日東交易と関西オイルとの各間で順次環状に締結された売買契約(いわゆるオーダー整理。以下、この円環状に形成された各売買契約の全体を「B取引」という。)のひとつであるから、右契約がすべて成立した時点で、物品の引渡が履行されたのと同視しうる状態となる。

また、右介入(B売買契約の成立)に際して、原告と被告間では、原告から被告への物品受領書の授受をもって、両者間の物品の引渡に代替させる旨の合意が成立しているものであり、その合意は、原告が被告に対し、以後物品引渡欠如の主張はしない旨約したことを意味する。

(三)  同表(2)(四月分)記載の各売買(以下「C売買」又は「C売買契約」という。)は、当初A売買と同様物流を伴う原告と被告間の直接取引であったが、その後同年六月ころ、原告は、これについても前記同様の順次環状売買契約(これを前記と同じ趣旨で「C取引」という。)が締結されていることを知った。しかし、このようにたまたま各売買契約が円環を形成し、結果的にオーダー整理が成立した場合、最初の売主が最後の買主となりその間の物品の引渡が省略され、引渡と同視される状態か作出されるから、原告と被告間でもその引渡がなされたと同視される。

(四)  したがって、原告は同時履行の主張ができないか、その主張は信義則に反し許されない。

2. 結論

原告は、同表(1)の24の代金(三八三八万七二〇〇円)は支払ったが、その余の支払をしない。そこで原告に対し、九億五六四七万六九六〇円と内金八億二二二九万六四〇円(三月分残金)に対する弁済期日の翌日である昭和六〇年六月一日から、内金一億三四一八万六三二〇円(四月分)に対する弁済期日の翌日である同年七月一日から各支払済みに至るまでの約定の日歩五銭の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

二、原告の主張

1. A売買について

(買受の意思表示の欠如)A売買契約は、いずれもグローバルオイル株式会社(以下「グローバル」という。)の代表者安田正一の仲介により、被告と日東交易との間で成立した売買契約であって、原告は、単にこの両者間のデリバリー(石油製品の取引方法等)の取次をしたにすぎず、買受の意思はなく、このことは、被告はもちろん知っていた。

2. B売買について

(一)(目的物不存在による無効)

B売買契約は、被告の主張とするとおり、環状に形成されたB取引のひとつである。

しかし、これは、特定物を目的とした特定物売買であるところ、目的物は存在せず、架空の売買契約である。したがって、原始的に不能として無効である。

(二)(通謀虚偽表示による無効)

石油製品の業転取引にあっては、売買が連鎖するが、石油タンクを有し、石油製品を所有する元売業者がその当事者に入り、そして石油タンクを有し、買受けた石油製品を受領できる最終荷受人が必要である。本件においては、かかる者は関与していないし、引渡を受ける最終の売主も買主もいない。もともとB取引に加わった各当事者には石油製品の供給、受領の意思がないばかりか、その能力もないことを、各当事者ともに認識していた。したがって、これが不特定物の売買であったとしても、売買契約としての効果意思を欠き、B売買契約は虚偽の表示であるから無効である。

(三)(前提事実)

B取引は、グローバルの安田、関西オイル及び三井商事株式会社(以下「三井商事」という。)の資金繰りを実質的に支配していた日本オイルの進藤隆彦、株式会社吉田石油店の吉田尚敏らが、関西オイルの森俊雄及び日東交易の藤井洋を利用して仕組んだ架空取引である。すなわち、進藤・吉田・安田らは、軽油引取税を免れつつ、軽油取引を継続し、不法な利益を得るために、その事情を知って軽油の取引をしてきた兼松江商株式会社福岡支店(以下「兼松支店」という。)の協力を要したところ、その協力を維持するためには昭和六〇年三月中に三井商事(森が支配する関西オイルの別会社であり、両者の資金繰りは共通。なお両社とも昭和六〇年四月事実上倒産。)が同支店に対し支払うべき約一五億円の軽油代金を支払わねばならず、これを捻出する必要に迫られ、その結果はその資金調達を目的として、同年三月中旬、グローバルの銀座事務所において、進藤・安田・森及び藤井が協議し、売買取引に名を藉りて右資金を原告から騙し取ることを企てて、B取引を設計、立案し、被告代表者吉福がその情を知ってこれに参加したものである。

かくして、かかる事情を知らない原告は、B取引の一環に加わることになったが、その際、被告の強い要請に従って、同月二〇日被告に対し物品受領書を交付した。

このように、B取引は、進藤らが、従来業界で散発的に行われていたオーダー整理を悪用して、仮装の円環状の売買契約を連鎖させ、この一環に加わる関西オイルが代金の決済をできないこと(それ故、関西オイルの売主で、原告に対する買主である日東交易も代金決済ができないこと)を認識していながら、原告を騙し、原告から前記軽油資金に充てる資金を回収しようと仕組んだものである。

(四)(公序良俗違反による無効)

(1) 以上のとおり、B取引形成の動機、目的は、兼松支店に対し三井商事が支払うべき軽油資金を原告から騙取するためのものであり、軽油引取税を免れつつ右支店に取引を継続してもらい、日本オイルらが不法な暴利を確保しようとしたことにあり、それ自体違法であり、公序良俗に反している。

被告の吉福は、右動機、目的を十分に知っていたから、B売買契約も公序良俗に反し無効である。

(2) また、B取引を構成する各売買契約は、独立して成立するものではなく、他の売買契約と密接不可分に、かつ同時に成立しているのであるから、円環中のひとつの売買契約が不法、不能等の理由で、不成立又は無効となるときは、円環は成立せず、円環を前提として成立した他の売買契約も当然に不成立又は無効となる。

ところで、日本オイル、関西オイル、日東交易は、B取引の目的、動機が公序良俗に反することを十分に承知していたから、少なくとも日本オイルと関西オイル、関西オイルと日東交易間の各売買契約は無効というべきであり、これと一体の関係にある原告と被告間のB売買契約も、吉福の善意・悪意を問わず、無効である。

(五)(詐欺による取消)

(1) 被告は、前記の動機、目的並びに関西オイルには既に支払能力のないことを知りながら、これを秘し、原告をしてあたかも通常のオーダー整理であるものと誤信させて、B取引に加入させた。

(2) 原告のB売買契約の買受の意思表示は、被告らの右不作為による欺罔行為に基づくものであるから、原告は、本訴においてこれを取り消す旨意思表示する。

(六)(同時履行の抗弁)

もしB売買契約が有効であるとしても、原告は、未だその目的物の引渡を受けていないから、それまでは代金の支払を拒絶する。

3. C売買について

(一)(買受の意思表示の欠如) これもA売買と同様、原告は、被告と日東交易間の取引に関し、デリバリー取次をしたにすぎず、買主ではない。

(二)(目的物不存在による無効) C売買契約も特定物売買であるが、その目的物は存在せず、原始的不能で無効である。

(三)(前提事実) 被告は、C売買についても、B取引と同じ当事者間で順次環状に売買契約が締結されたというが、原告はこれを否認する。

仮に被告主張のとおりであれば、それは、進藤が、安田と共謀して、日本オイルが関西オイルに対し交付していた融通手形(昭和六〇年三月末日において、約七億円に上り、しかも関西オイルは倒産目前であった。)の決済資金を調達するため、売買名下に信用力のある原告の手形を手にいれようと画策し、日本オイルと関西オイル間の売買契約を捏造し、これに右事情を知っていた吉福及び藤井を引き入れ、円環状のC取引を仕組んだものである。

(四)(公序良俗違反による無効) 右のとおり、C売買契約は、その目的・態様において公序良俗に違反しており、無効である。

仮に、吉福が右事情を知らなかったとしても、被告の原告に対するC売買契約に基づく代金請求を認めることは、いわば犯罪行為を助長するに等しいことになるので、無効とさるべきである。

(五)(錯誤無効) 原告は、特定の日に特定の船舶に積み込まれた石油等を目的とした通常の売買契約であると誤信して、C取引に加わった。しかしこの取引は、前述のとおり進藤が仕組んだ不法な目的・背景を有する円環状の取引であり、原告が右事情を知っていたならば、このような取引に参加することはなかった。これが円環状の取引か否か、右不法目的・背景の有無は、いずれもC売買契約の重要な要素となる事実であり、原告にはこの点において錯誤があり、無効である。

(六)(詐欺による取消)

(1) 進藤、吉福は、共謀のうえ日本オイルが関西オイルに交付していた融通手形の決済資金の調達又は単純に原告から金員を騙し取る目的で、この目的及び関西オイルが倒産間近である事実を秘し、あたかも通常の売買契約の申し込みであるように装って、原告をその旨誤信させ、原告をしてC売買契約の意思表示をさせた。

(2) そこで原告は、本訴においてこれを取り消す旨意思表示する。

(七)(契約の解除)

(1) 石油業転取引における個々の売買契約は、特定の受渡日に目的物たる石油製品の引渡がなければ、債務の本旨に従った履行とはならないから、これは商事確定期売買である。C売買は、いずれも架空の受渡日等が流れ、現実の船積みはなされておらず、右取引後四年以上経過しているが、依然引渡はない。したがって、商法五二五条により、C売買契約は、右確定期の経過により解除された。

(2) 仮に商事確定期売買ではないとしても、民法上の定期行為であるから、原告は、本訴において解除する旨意思表示する。

(八)(同時履行の抗弁) もしC売買契約が有効であるとしても、原告は、未だその目的物の引渡を受けていないから、それまでは売買代金の支払を拒絶する。

4. 結論

以上のとおり、原告は、被告に対し、その主張する売買代金債務を一切負担していない。しかるに被告は、それが存在すると主張しているので、被告に対し、とりあえず別紙取引一覧表(1)の1ないし23(なお、24は支払済みである。)のA及びB売買代金債務(合計八億二二二九万六四〇円)が不存在であることの確認を求める。

第三、争点に対する判断

一、A及びC売買契約の成立(並びに原告のC売買契約の目的物不存在を理由とする無効主張)の当否

1. 被告は、昭和五五年四月二日設立された石油製品の販売等を目的とする会社であるが、同年五月ころから原告と取引があった。昭和六〇年一月ころまでは、原告との直接売買の取引はほとんどなく、石油製品の、いわゆる「つけ商売」(被告の尽力で石油製品の売買に関する一切の条件が確定した後に、原告に売買当事者として加わってもらい、原告から手数料等の支払を受ける取引形態)が主体であった。その支払条件は、月末締め、同日起算で六〇日後を支払期日とする約束手形で払い、もし支払が遅滞したときは、日歩五銭の割合による遅延損害金を支払うというものであった。ところが、同年二月から、グローバルの安田からの、原告がA重油及び灯油(以下「重油等」という。)の購入を求めているとの情報と、原告側からのその問い合わせによって、重油等を自ら独自に仕入れて、これを原告に販売する取引も始まった。

2. 他方、日東交易(昭和五九年六月一日設立。同じく石油製品の販売等を目的とする会社。)は、同年七月ころから、関西オイル(本店は高松市にあり、昭和六〇年一一月一二日高松地裁において破産宣告を受けた。)もしくは三井商事(昭和五六年四月六日に設立された実質上は森が経営していた会社。)からの軽油の注文が入る都度、原告に軽油の仕入先を斡旋し(いわゆる「つけ商売」)、原告が買主としてこれを購入して兼松支店に売り、同支店が更に関西オイル又は三井商事に売却するという形態の取引に関与して来た。なお、こういう軽油の取引関係は、そもそも関西オイルの森とグローバルの安田の要請で、藤井が原告にお願いして、原告の了承のもとに出来上がったもので、森は、仕入れた軽油を主に日本オイルや株式会社吉田石油店(以下「吉田石油店」という。)等に販売してきたものである。

また、日東交易は、昭和五九年八月ころからは、軽油以外の石油製品(すなわち重油等)も他社に販売してきたが、これも自らが原告の仕入先を探して交渉し、その結果原告が購入した製品を日東交易が仕入れて、更にこれを他社に売るというものであった。原告の日東交易に対する与信枠は月当たり一億円であった。

ところが藤井は、その後、森の依頼を受けた吉田石油店の代表者吉田尚敏から関西オイルのバックアップを頼まれたり、更に森の強い要求もあって、日東交易として、同年一二月から関西オイルに対しても重油等を販売することになった。しかし昭和六〇年一月に、日東交易が重油等を仕入れていた原告以外の会社が、石油取引から撤退したり、日東交易との取引枠の拡大を拒否したため、日東交易としては原告からこれを仕入れる意外にない状態になった。こうして、二月分の重油等の取引を約六万キロリットルにして欲しいという森の要望に沿って、藤井は、森と共に同年一月下旬から二月の初旬ころ、その旨を原告の化成品燃料本部燃料部部長の和田充弘に申し込み、二月分として日東交易が原告から右程度の重油等を仕入れることにつき、和田の了解を得た。同年二月初めころ、被告のもとに重油等があるとの情報があるので確認して欲しいという、日東交易からの電話連絡を受けた原告の燃料課二課の小林徳孝が、その課長鎌田正道の承認のもとに、被告に対しその確認の電話を入れたのを皮切りに、以後日東交易の注文がある都度、被告に対して重油等の注文を入れてきた。

なお、和田が藤井らに許容した重油等の三月分と四月分の原告と日東交易との取引量は、いずれも約一〇万キロリットル程度ということであった。

3. このような経過をたどって、A及びC売買契約が締結されるに至った。すなわち、別紙取引内容(1)及び(2)記載の各日時ころ、小林が日東交易から注文を受けた油種と量を被告に注文し、これを受けた被告がそれを手配し、製品の確保後にその旨と積地を原告に連絡し、原告において荷を積む船の名を折返し連絡し、売買価格は一応その時々の相場を目安として、月半ばもしくは月末に一括して双方が調整するという方法で、順次別紙取引一覧表(1)及び(2)記載の各売買契約が成立した。

そしてその各売買の目的物は、右各日時ころに、原告から日東交易に、そこから更に関西オイルにと、いずれも順次売却されている。

ところが、C売買契約にあっては、その売買の目的物たる重油等が、被告の仕入先である日本オイルから被告に、被告から原告に、原告から日東交易に、日東交易から関西オイルに、関西オイルから日本オイルにと、順次売却されて、結果的には円環状を形成するに至ったが、C契約締結の時点では、被告はもちろんのこと、日東交易もこのことを予想したり、こうなることを知らなかった。しかし、少なくとも契約時には、その目的物は日本プロパンガス株式会社の丸亀油槽所に存在していたし、このような場合、目的物は中間の売買当事者間では引き渡されたものとして代金の決済をするのが通常である。

〈証拠省略〉

4. 原告は、A及びC売買契約は、被告と日東交易との間に成立したもので、原告は単に両者間の取次をしたにすぎないと主張するところ、これにそう趣旨の証人和田、鎌田、小林の各証言部分や甲四五の一、二(原告の法務部長平木剛の証人調書)の記載部分は、前記の各証拠と対比すると、どうしても信用することができない。右のように言っているのは、原告の社員ばかりであって、しかもその裏付けとなる書証等の客観的な証拠はひとつもない。

また、右和田及び鎌田の各証言の一部や甲三三及び右四五には、和田が与信枠を超えて藤井に許容した重油等の取引は、日東交易から現金で原告に入金された後で、原告が介入する(その段階で契約が成立する)という約束であった、との趣旨の証言及び記載があるけれども、仮に原告と日東交易との間でこのような約束があったとしても(証人藤井は、否定の証言をしているが)、このことは被告と原告間の売買契約の成否に対し影響するところは何らない。

5. したがってまず、原告は、被告に対し、A売買契約に基づく売買代金三億五五二九万六四〇円を支払う義務がある。

また原告は、C売買契約の目的物は存在せず、右契約は無効であると主張するが、前認定の事実によれば、目的物は契約時には存在していたし、そしてその時点で、丸亀油槽所に所在する契約上で定められた一定数量によって、売買契約の目的物も十分に特定しているというべきであるから、原告の右主張は採用できない。

二、B売買契約の効力の有無(原告の主張2の(一)、(二)、(四)及び(五)の当否)

1. B売買がB取引(オーダー整理)の一環を形成することは、当事者間に争いがない。

2. ところでB取引は、以下のようにして形成された。すなわち、昭和六〇年三月中旬ころ、関西オイル(及び三井商事)が資金繰りに窮していたため(その理由等は後述する。)、これを助けるべく、森の相談にあずかった安田、日本オイルの進藤、吉田(当時、関西オイルの石油製品の販売先は、日本オイルと吉田石油店が七〇パーセント、グローバルが一〇パーセントをそれぞれ占め、その他が二〇パーセントであった。)及び藤井が相談して、森のため資金の援助をする目的で、重油等のオーダー整理をすることにし、藤井の依頼を受けた和田も事情を知ってこれに加わることを了承し、更に安田からの依頼で被告(吉福)もこれ(B売買契約)に関与することを承諾した。

そこで被告は、そのころ、原告から同年三月二〇日付で別紙取引内容(1)の20ないし22記載と同一内容の売買契約書(乙一)及び物品受領書(乙三)の交付を受けた。そして原告は、その後の四月一〇日ころ、日東交易に対し、B売買を含めた同年三月分取引の被告に対する売買代金を原告が四月二五日に手形で支払うことを前提とし、右代金(B取引を形成する原告の日東交易に対する売買代金)を含めて日東交易が原告に支払うべき代金約一九億円を同月一九日までに入金するよう催告する趣旨の書面(乙二五及び四〇)を交付している。更にはまた、原告は被告に、日東交易は関西オイルに、関西オイルは日本オイルに、日本オイルは原告にそれぞれB取引を構成した売買契約の代金を請求している。

〈証拠省略〉

3. 証人和田は、右オーダー整理の目的、理由は知らなかったという趣旨の証言をしているけれども、右認定の事実や乙二七等と照らし合わせると、これは全く信用できない。B取引のみでも約四億円にも上る取引であり、原告の責任のある地位にいる和田がその理由等を聞かずに、オーダー整理を承諾するはずは絶対ないと思う。聞くのが常識であろうからである。

右認定のとおり、B取引は、それを構成しているB売買を含む各売買契約をその各当事者がオーダー整理であることを認識してそれぞれ任意に締結し、形成したものである。

したがって、B売買契約は、そもそも物の流れのないことを前提とした契約であるから、目的物不存在の故にこれが無効であるとはいえないし、各当事者は、少なくともその契約目的にそった効果(すなわち売買代金支払の権利と義務)の発生を欲して、その意思表示をしていることも明らかであり、各売買契約が仮装のものであることを合意していたとは到底いえない(そのような証拠もない)から、B売買契約が通謀虚偽表示に当たるとは解することもできない。

4. 次に、原告の公序良俗違反及び詐欺の主張の当否を検討する。

(一) まず原告は、要するに、B取引は、進藤、吉田、安田らが森や藤井を利用して、三井商事の兼松支店に対する軽油代金債務約一五億円の資金を原告から騙し取り、これにより兼松支店との取引を維持し、軽油引取税を免れつつ日本オイルや吉田石油店をして、不法な利益を確保させようとして仕組んだ取引であり、被告の吉福は、右動機、目的を十分に知りつつB取引に加わった、という。

しかし、本件の証拠をよく検討してみたが、進藤らの右動機、目的を肯定すること自体、すでに到底困難であり、ましてや吉福が右動機、目的を知ってB取引に関与したことを認めるに足りる十分な証拠もない。

(二) なお、以下のような事実は認められる。

関西オイル(及び三井商事)は、昭和五八年七月ころから一二月ころにかけて不動産を取得し(その代金は約二七億円)、その支払のために資金繰りに窮するようになった。それ故に資金の捻出のため、兼松支店から購入した軽油(これは、前述のとおり原告から兼松支店に流れたもの)をタンピングして日本オイルや吉田石油店に販売したり、高利の金を借り入れたり、あるいは前記のように藤井に依頼して重油等の仕入れを拡大してきたが、昭和五九年後半ころには独自の力ではどうにもならない経営状態になって、軽油引取税すら滞納していた(昭和五八年度及び昭和五九年度の未納分として、関西オイルは約二三億五〇〇〇万円、三井商事は約二億三〇〇〇万円)。そして昭和六〇年三月中に兼松支店に対し軽油代金約一五億円の支払をしなければならないうえ、日東交易に対する重油等の代金も約束どおりに支払っていなかったため(そのため日東交易の原告に対する支払も遅れていた。)、古くからの知り合いで同業の安田や進藤、吉田と相談し、藤井にも協力を求めて、B取引(オーダー整理)をしたほか、更に三月下旬にも進藤らと相談してオーダー整理を組むことにし、藤井に対しても、オーダー整理を組めば一一億円を支払えるので、原告に加わってもらうよう和田の了解を取り付けて欲しい旨依頼し、そのころ藤井を介して和田の了解を得て再度オーダー整理を行った。かくして、以上のオーダー整理等で得た資金で、三井商事は同年三月二二日から二七日にかけて約一五億円の代金を兼松支店に支払うかたわら、関西オイルも又同月二八日、日東交易の名義で原告の口座に日東交易の原告に対する二月分の売買代金の一部として、一一億円を振り込み入金した(この時点で、日東交易の原告に対する二月分の売買代金債務は約一五億円になった。)。

かくして関西オイル(三井商事)と兼松支店との軽油取引は、右支払をもって終わりとなった。しかしその後、安田が設立した会社(ペーパー会社)等が兼松支店と軽油の取引を始め、その購入した軽油約二万四二〇〇キロリットルを、同年一一月ころから昭和六一年二月ころまでの間、非課税の洗浄剤と偽って申告し、その偽りを知っている日本オイルや吉田石油店及びこれらの子会社に売却して、約五億円を脱税していた。

他方、昭和五九年一二月ころから、藤井は、森の了解を得て、関西オイルが所有する不動産を日東交易の原告に対する債務の担保に提供する旨を原告の和田に申し出ており、その後昭和六〇年三月一五日ころ、森が吉田らの了解を取り付けて、その所有する不動産をも日東交易の原告に対する債務の担保に提供する話がまとまって、藤井が森から預かった不動産の登記簿謄本を和田に交付した。その後、前記のように原告に一一億円の入金があったが、関西オイルの日東交易に対する支払は依然として遅滞し、前記二月分残金を森が同年四月一一日に支払う旨約していたのに、六億七〇〇〇万円しか支払わず、そのため日東交易が四億三〇〇〇万円をこれに加えて、翌一二日に原告の口座に振り込み入金した。そして担保設定手続のため、藤井と原告の鎌田及び審査部の吉田修一が同月一五日に松山市に赴いたが、結局は藤井らの思惑と異なって吉田らが担保提供を断ったので、関西オイル所有の新居浜市阿島の宅地二二一・六五平方メートルについて、債務者を日東交易、債権者原告とする極度額三億円の根抵当権設定登記ができたのみであった。その後関西オイルに見切りをつけた原告は、同年四月二〇日ころから、自己の債権保全のため、日東交易に対し、その関西オイルに対する売掛代金債権(約九八億円)の譲渡を求めたり、日東交易と藤井個人の財産に根抵当権を設定したりしている。

なお、商業登記簿上、被告の吉福は、昭和五八年一一月九日に三井商事の取締役に就任(同時に安田が代表取締役。両者とも昭和五九年四月六日辞任)となっているが、これは、当時森が三井商事を他に売却するつもりであったため、単に吉福らの名義を借りたものであった。また、吉福と藤井は、当時直接話し合ったこともない間柄であったし、関西オイルが引取税を滞納していた事実なども知らなかった。

〈証拠省略〉

(三) 右事実並びに先に認定した事実によれば、森、安田、進藤、吉田らと藤井、また右森らと吉福は、いずれも取引上かなり緊密な関係にあったことは確かである。そして、税を滞納していた関西オイル、三井商事が兼松支店との取引を止めた後に、安田の関係会社が同支店と軽油の取引を始め、まさに脱税行為をし、進藤と吉田がこれに与していたが、この事実から直ちに、安田、進藤、吉田らが意を通じて昭和六〇年三月の時点で、将来の軽油の脱税を目論み、その目的で右支店との軽油取引をつないでおくための資金捻出として、原告から金員を騙し取ろうとした、というのは、いささか早計であろう。

森自身、右の動機、目的について、今考えるとそうだったのかも知れないという趣旨の、推測的な証言をしているにとどまる。

他方、和田も藤井とのつながりが深かったと見てよく、和田は、藤井のために便宜を図ることがすなわち原告の利益と考えて、日東交易から関西オイルに流れる重油等の取引量を拡大したり、オーダー整理に協力したのではないかとさえ思われる。少なくとも、前記のオーダー整理によって、現に日東交易に対する代金の一部を回収しているし、関西オイル(三井商事)が兼松支店から購入していた軽油も、その元は原告から流れていたものであり、和田は、藤井や森との話し合いを通じて関西オイルの経営状態をもある程度は把握していたものと思われる。

いずれにせよ、進藤らが脱税及び詐欺の動機、目的でB取引を仕組んだとは認め難く、また吉福がその動機、目的を知っていたという証拠もないから、B売買契約が公序良俗に反するという原告の主張は採用できない。更に、B取引を構成する各売買契約が円環を形成していても、これら契約はそれぞれ独立するものであるから、関西オイルと日本オイルあるいは関西オイルと日東交易の各売買契約が仮に右の動機、目的の故に不法な点があって無効であるとしても、吉福が右動機、目的を知っていたことの立証がない限り、B売買契約の効力には何ら影響がないと解する。

(四) 次に、原告の詐欺の主張も、吉福が前記の動機、目的や関西オイルの支払能力を知っていたことを前提としているけれども、これを認めるに足る証拠はない。

三、C売買契約の効力の有無(原告の主張3の(四)ないし(七)の当否)

まず、原告の主張3の(三)の前提事実、特に吉福が原告主張の進藤らの目的等あるいは関西オイルが倒産間近であることを知っていたこと、を肯定するに足る証拠がない。

したがって、右事実を前提とした(四)ないし(六)の各主張は採用できない。

なお原告は、その錯誤無効の主張((五))のなかで、原告が通常の売買であると誤信したというが、前述のとおり、この点は被告も同じであって、C売買契約の成立時点では、売買契約の成立に必要な要件は具備しており、したがって原告の意思とも合致していたはずであり、しかも石油業界における業転取引にあっては、売買契約後に、それがC取引のように結果的にオーダー整理の一環を構成することは通常ありうることであろうから、この点の誤信は法律上の要素に関する錯誤とはいえない。

四、C売買契約の解除並びにB及びC売買契約における同時履行の抗弁の当否

1. まず、C売買契約の解除の主張を検討する。

C売買契約は、結果的には成立した円環状取引(C取引)のひとつを構成する売買である。このような場合、最初の売主と最後の買主が同一に帰して(すなわち本件では日本オイル)、最後の売買契約上、目的物引渡の権利義務に関する限り、その履行ということが無意味になることが明らかである。それに応じて、中間の売買契約上の目的物引渡の権利義務も実際上は不要となり、またそもそも業転取引における中間当事者は、少なくとも経済的にも法的にも目的物の現実の引渡を重要視していないはずであるから、これら権利義務は、円環が成立した時点で消滅すると解してよいと考える。

したがって、被告になお原告に対するC売買契約上の目的物引渡義務のあることを前提とする原告の各解除主張は採用できない。

2. そこで以下、原告の主張の同時履行の抗弁の当否を考える。

B取引は、初めから意図されたオーダー整理である。この一環を構成する各売買契約の当事者には、目的物の引渡という観念がない。言い換えれば、売買契約上の目的物は存在しないことを相互に了解してなす契約である。本来の意味での売買契約とは言い難いことは確かであるが、各当事者がこれを良として任意になした契約である以上、契約自由の原則からその欲した意図どおりの法的効果は許容せざるを得ないであろう。そうだとすると、この場合、契約当事者には目的物の引渡の権利義務はなく、それ故にまた、代金の支払との同時履行という権利も発生する余地がないのである。そのように各当事者は了解して契約に加わったと見るべきであろう。少なくとも、B売買契約の際に、原告は、被告に対し物品受領書(乙三)を交付している以上、同時履行の抗弁権を主張することは信義則に反し許されない。

C取引も結果的にオーダー整理が成立している。そしてこの場合、前述のとおりC取引が円環を形成した時点で、中間者の目的物引渡の権利義務も消滅すると解せざるをえない。そうすると、形式上は確かに、中間売買契約の当事者の権利(特に代金支払との同時履行の抗弁権)が結局偶然の事由で失われることになるけれども、中間者間では本来目的物の現実の引渡を重要視しない取引であるうえ、最後の売買契約で目的物の引渡履行がなされたと同じ経済的法律的状態が成立しているのであるから、その後になって、なお中間売買契約の当事者に対してこの抗弁権を認めて保護すべき実質的な理由は少しもないであろう(前認定のとおり、このような場合、この業界では中間者間においても目的物の引渡が終わったものとみて、代金の決済をするのが通常であるという。)。仮になおこの抗弁権があるとしても、目的物引渡の権利義務がすでに形骸的なものに過ぎないことを考えると、後記のとおり被告において、C取引の日本オイルに対する売買代金を完済している本件では、もはや原告が被告に対し右抗弁権を主張することは信義則上許すべきではないと思う。

3. 〈証拠〉によれば、被告は、その前者である日本オイルに対して、B及びC売買代金を遅くとも平成元年九月二五日までに完済していることが認められる。

したがって、原告は、被告に対し、右売買代金の支払を拒むことはできない。

第四、結論

以上のとおり、原告は、被告に対し、AないしC売買契約に基づく代金合計九億五六四七万六九六〇円と内金八億二二二九万六四〇円(三月取引のAおよびB売買契約の代金)に対する弁済期日の翌日である昭和六〇年六月一日から、内金一億三四一八万六三二〇円(四月分のC売買契約の代金)に対する弁済期日の翌日である同年七月一日から各支払済みに至るまでの約定による日歩五銭の割合による遅延損害金を支払う義務がある。したがって、A及びB売買契約の代金の不存在の確認を求める原告の本訴請求は理由がなく、かえって被告の原告に対する反訴請求は認容すべきである。

(裁判長裁判官 大澤巖 裁判官 土肥章大 裁判官萩本修は、転補のため、署名押印ができない。裁判長裁判官 大澤巖)

〈以下省略〉

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